私は35歳を過ぎてから、3回ほど短期留学をしています。(追記:2019年、2020年にノマドプラス短期留学を実施し計5回に)
仕事、会社生活に疲弊して、人生のリフレッシュを求めていたというのがどの回にも共通している理由です。これだけ書くと逃げにか思えないかと思いますが(笑)ポジティブな理由ももちろんあります。
1回目 35歳 イタリア・フィレンツェ&タオルミーナ
外資系の金融で事務系の仕事をしていたときです。
異動があってから、自信を失い、業務に全く興味を持てない日々を送っていました。東日本大震災が起こると、自分が会社にいる意味、この生活を続けていく意味が一層分からなくなります。鬱々とした日々を送り、たびたび産業医の先生に、その苦しさを伝えていました。ある日、気づいたらうなじの毛がなくなっていて、円形脱毛症だと分かったときは発狂するかと思いました。
そんなとき、霊感のある知人に占ってもらったところ、今の会社にいても私の良さが出ない、早く出るべきと言われ、退職を決意。
これからは、自分の好きなことを仕事にしよう。とりあえず、夢であった海外に住むという夢を叶えよう。大好きなイタリアで暮らしながら先のことを考えよう。仕事で使っていて伸びなかった英語は今更やっても無理だろうし、スペイン語もできるようにならなかったけれど、全く新しい言語を一からやったらできるようになるかもしれない。イタリア語ができたら、シチリアでマンマから家庭料理を習うこともできるし!
そうして、フィレンツェとシチリアのタオルミーナで合わせて半年のイタリア語と料理留学に出発しました。
イタリアは旅するにはいいけれど、住むのはちょっと厳しいかなと考えながら留学を終えました。その後2か月ヨーロッパを周遊する間、文章を書く仕事もしたいけれど、習ったイタリア料理を出すカフェでもオープンしたいと考えていました。
しかし、帰国すると、すぐに大昔に働いていたイベント会社に呼ばれ、以前やっていたホームページ制作の仕事をピンチヒッターで再開することに。座り仕事でもすごく疲れ、立ち仕事のカフェなんか自分には無理なんだろうかと考えながら、その後おもいがけず会社が楽しくなったりし、辞めるタイミングを失いました。
そうやってだましだましやってきましたが、仕事が向いていない、イベントの業務も忙しすぎて、体力がきついということでようやく退職を決意します。
2回目 39歳 イギリス・ケンブリッジ
このときは、人生のリフレッシュに加え、海外なら今までとは違う出会いがあるかもという気持ちがありました。
また、イタリアに居る間に「結局は英語ができてこそ」ということに気づいたこと、仕事で使っていた英語に対するコンプレックスを今更かもしれないけれど解消したいと考えて、3か月の語学コースに申し込みます。
ここでの生活は非常に充実したものでした。また、念願の物書きの仕事もスタート。
そして3か月では短すぎるという助言があり、滞在を延長しました。
半年のビザをギリギリ使って帰国。
日本に帰ると、早くヨーロッパに戻らないと、という気持ちでいっぱいになりました。いつも心ここにあらずで、私のいるべきところはここではないという気持ちでいました。
ライターではビザが取れません。イギリスで働くことは要件が難しかったので、英語がよく使われるオランダの仕事をみつけます。日本に居たのはたった4か月でヨーロッパに戻りました。
3回目 40歳 イギリス・ロンドン
オランダの仕事は、日系の会社だったのですが、ブラック企業でした。むこうに行く前からそうではないかと分かっていたのですが、それでも行ってから確認したいという気持ちで無理やり行きました。
結果、長く居てはいけない会社だと1か月で分かり、退職します。
両親の反対も押し切り、友人たちにも壮行会をしてもらって来た手前、そうすぐに日本に帰るわけには行きませんでした。
色々検討した結果、留学の形であっても、ここなら住めると思ったイギリスに行こう、ケンブリッジはすごくよかったけれどもっと大きな街に行こう、そうして3回目の留学がはじまったのです。
恥ずかしながら、こんな理由での留学でしたが、どの回でも、非常に得難い経験をしました。
今後、さらに詳しく、留学の状況、役立つ情報をお伝えしていきます。