ケンブリッジの語学学校でみた各国の生徒の英語力の傾向と学ぶ姿勢

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英語力は個人差が大きいと言えど、母国語の特徴などで語れる部分もある。そのため、以下国名と、アジアとヨーロッパに分けて気づいたことを書いてみる。

話す量がアジア人とヨーロッパ人では違う

喋りすぎる人が困ると書いたのには理由がある。私の英語力は全体的に底上げが必要だったけれど、特にスピーキング能力が他の能力より劣っていたので、これを引き上げるのが留学の一番の目的だった。会社派遣ではなく自費だったし、結果を出したかった。

喋りだすと止まらなくなる人は常にクラスに一人はいた。シリア、ロシア、ドイツ、イタリア、スペインなど。

一般的に、東洋の人は授業中言葉数が多くなく、西洋の人ばかり話す傾向がある。また西洋の人は一回あたりの話す分量が多い。

私もよく先生に質問したが、たいてい一文か二文。西洋人はそうじゃないことが多い。誤解を与えないように多く話すというのが、侵略の多かったヨーロッパの歴史的背景によるものだとは聞く。それが身についていて羨ましいと思う人と、関係ない話が多いなと思う人がいたが。

ペアを組んでスピーチの練習をするとき、西洋人が先に話すと長いので、交代して私が話し始めてすぐにタイムアップしてしまうことが多かった。

今疑問に思ったが、西洋人同士はどうバランスを取っていたんだろう?よく話すスイス人とイタリア人と3人のグループで練習したことがある。そのとき、イタリア人は、なかなか話し終わらないスイス人を睨みつけたり、大きな声でため息をついたりした!それでもスイス人は気づいていなかったけれど。

もしかしたら、学校にはたまたま口数が多くない東洋人が集まっていたのかもしれない。元々がお喋りの方が英語力がアップするのは当然のことだろうと思い、そこから変えていく必要があると考えた。

アジア人の英語力の特徴

お喋りかどうかが影響してか、また教育の仕方が影響してか、中国・日本はスピーキングが他の能力に比べ劣ることが多いように思った。韓国は幼稚園から英語教育が始まっているので、能力が均衡しているようなイメージ。タイ人は発音がきれい。

ヨーロッパ人はスピーキングが得意

逆に、ヨーロッパ(ロシア含む)の人々は、スピーキングが一番得意なことが多かった。またアルファベットに慣れているせいか、リーディングが優れている。長文の中から必要な情報を探し出すという課題のときは、皆が終わっても、私が終わっていないことが多かった。だけれど、ライティングになると、スペルが違ったり、文法が違ったりすることもしばしば。こんな風に総合的には同じレベルだけれど、内訳はバラバラだった。

上級のオーストリア人の大学入学のためのテストの結果をみせてもらったことがあるが、彼女はリスニングが一番だった。ホームステイ先でいっぱいテレビをみるようにしていたそう。無事、パーティー好きが集まるニューキャッスルの大学に進学した。

知力と語学力は別物

日本では知的レベルと英語力は比例していないが、英語が得意な人が多いヨーロッパでもそうだということが分かった。当たり前だけど。たとえば、スペイン人は経済学者だった。

彼女はよく喋るけれど、喋っているうちにどんどんスペイン語が混ざってきてしまう。彼女の場合は、文法が得意だった。PCでノートをとっていた彼女は、素早く美しく要点をまとめていく。二人で問題の答え合わせをしているとき、私が間違ったことをいうと、論理的にここがこうだからこうだと自信をもって教えてくれた。

スペイン人の考えるアジア人のもつ意外なメリット

あるとき彼女は意外なことを言った。アジア人は発音が正しく、英語の学習が有利だというのだ。普段アルファベットを使っていないから、自国の読み方と混同することがないだろうと。たとえば、スペイン語はローマ字読みに近い発音。Tableとあったら、テーブルでなく、タブレと読むのが自国のルール。それに惑わされない分、アドバンテージがあると言う。新しい発想だった。

ヨーロッパ人のもつメリット

逆に言わせてもらえば、スペイン語と英語は、同じルーツを持ち単語が似ていることも多いので、知らない単語でも意味がだいたいわかってしまうみたいなことが多い。これはリーディングでとっても有利だと思う。スペイン人だけでなく、ラテン語をルーツに持つところはたいていそうだろう。

筆記体を使う人は少数派

ちなみに、気づいた限りでは、皆ブロック体で書いていて、筆記体を使っているのはアンゴラ人だけだった。それは芸術的なカリグラフィと言えるほどのものだった。

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ヨーロッパの大人は授業に対する姿勢がとても真剣

ヨーロッパの、特にオーバー30は授業に関して受け身にはならない。午前の授業が終わってからのランチタイムは、まず今日の授業がどうだったかという話題。あの先生は優れているとか先生の批評もとても多い話題。

今日の授業の内容は役立った、とか、ああいう進め方だと時間が無駄、とか。それを直接先生本人に言うときもあるが、先生を替えてほしいと教頭先生に訴えにいくことも珍しくない。

皆キャリアを中断して、自身のため、またよりよい転職のためにきているから当然と言えば当然。特に熱かったのは、イタリア人・フランス人・スペイン人だったが、スイス人やドイツ人、ロシア人も熱心だったから、皆と言えるかもしれない。私も感化され、代表して言いに行くことがあった。

シリア人が話し過ぎて授業がもったいないと愚痴ったとき、イタリア人・フランス人は私とはクラスが違うのに、いつの間にか私の担任に伝えていた。その後、言っといたから!と言われびっくり。ラテンは義憤に燃えやすいようだ。

あるとき授業のテーマが「死」について、だったときがあった。そのときは、スイス人、ドイツ人、ロシア人が身近な人のことを思い出して次々退席。もうこういったテーマは止めてほしいと訴えていた。そんなこともあった。

訛りは気にしなくていい

語学学校の生徒で言えば、一番上のクラスの人々でも自国の訛りが割と混じっていることが多い。

つまり、母国語でないのだから、訛っていても仕方がないということだ。また、学校からみても、その訛り度はスピーキングのレベルとは関係ないと考えているということだ。

ドイツ語訛り、スペイン語訛りが一番聞き取るのが難しいように思った。

発音でいえば、アジア圏のものが一番聞きやすかった。みんなアメリカ英語を勉強していたというのもあるのかもしれないけれど。特に中国人の英語はアメリカ英語らしさが強い気がする。発音がうまいのは、中国語に母音がいっぱいあるからかなと思っていた。でも先生に言わせると、全然アメリカ英語らしく聞こえないようだったし、もっとしっかり発音しなさいと言われていた。

私は留学当初、フラワーという簡単な単語が発音が悪かったのか皆に伝わらず、大きなショックを受けた。その後、日本人は口を開かないからもっと開いた方がいいというアドバイスをされて、心がけるようになったら少し改善されたようだ。

ホストファミリーは私に対し、あんまり訛っていないけど、ちょっとの訛りはチャーミングだよ!と励ましてくれた。なるほど、個性と考えればいいのかと楽になった。

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